さまよえるLOVEずっきゅん

大阪の広告制作&ライター事務所 ラッキー・スター。 コピーライター&ライターが気まぐれに綴るたわごと。

仕事の話ではない話

私花集(アンソロジィ)

さだまさしさんはこれまで38枚のアルバムを出してます。
そのうちで最高傑作と言われているのが3作目の「私花集(アンソロジィ)」です。
このアルバムは私も大好きで、初めて買ったLPレコードがこの盤です。
中学2年の時だったかと思います。
35年か6年前になるのかな、考えてみるとさださんって長いこと歌い続けてますね。
しかし、私が知っているのはグレープ時代と、
ソロになってからはこの次の4作目になる「夢供養」までですね。

ソロ1作目の「帰去来」から「風見鶏」「私花集」とリリースが続いていくのですが、
少しずつパワーアップしているように感じられるのですよ。
しかし、4作目の「夢供養」で明らかに路線が変わったみたいで、
それ以降はさだまさし熱がさめて、そのまま今に至ります。
たまにさださんの曲を耳にすることもあったんですが、
うーんやはりカラーが違うよなと感じます。
なので「私花集」がさださん初期の時代の最高潮だなと、
そして、そのアルバムが現代に至るまでのさださんの作品の中で
最高傑作だと評されている方も多くいらっしゃるようです。
それだけパワーのある作品なんですね。
それを最後に成長されていないということではなく、
ただ単に路線が違う、カラーが違うといったところで、
初期の作品より最近の作品のほうがいいとおっしゃる方もいると思います。
それは個人の好みであって、作品の優劣ではないでしょう。
ただ、すべてのアルバムの中でこのアルバムが最高だとおっしゃる方が
割合としては高いようなのですね。

収録曲ですが、しっとりと聴かせる曲から、コミカルなものまでさまざまです。
ただ、「これとこれはポッドに入れて、これはいらない」といった
選別ができないです。
全10曲すべて通しで聴ける、全曲ともメインになる力があると思います。
10曲のうちシングルとして発売されているのが、
「檸檬(レモン)」「案山子」の2曲です。
あと、セルフカバー曲の「秋桜」は山口百恵の代表曲のひとつになってます。
この「檸檬(レモン)」と「案山子」アルバムにも収録されているのに、
シングルでも別に買いました。
「檸檬」はアルバムとシングルとではイントロが違うんですよ。
B面の「加速度」もそうですね。
その他にも叙情的な「最後の頁」、
しっとりと聴かせる「SUNDAY-PARK」「フェリー埠頭」
コミカルな「天文学者になればよかった」
やさしく聴かせる「魔法使いの弟子」
そしてアルバムのラストを締めるにふさわしい「主人公」と、
どれもはずせない曲ばかりです。
「主人公」はさださんの曲の中でも人気ナンバーワンだそうですが、
そうだろうなと納得できます。
まさにこのアルバムを象徴するような曲ですね。

このアルバムが発売された後、
シングル「関白宣言」の大ヒットで路線が変わったなと
そんな気がします。
あの曲は、それ以前に発売されてヒットした「雨やどり」と
並べて語られることも多かったのですが、
その2曲は根底のカラーが全然違うものだと思うのですよ。
しかし、40年間にわたって愛され続け、
今もなおメジャーで歌い続けることができているってのは
路線やカラーの変化を繰り返しながらも、
その根底にある基本部分は変わっていないからではないかとも思うのです。

「脱法ハーブ」に代わるネーミング

警察が「脱法ハーブ」に代わる新しい呼称を考案中であるという。
今回は公募ではなく、警察の内部で考えるということだが
はたしてどのような名称になるだろう。

ショップ側は「合法ハーブ」と称しており、警察は「脱法ハーブ」としている。
世間一般的には「脱法ハーブ」として定着しているだろう。
毎日のようにそのハーブが原因で起こったと思われる交通事故の報道がなされ、
これまではこの程度の事故であれば、
原因が何であれ報道されることはなかったであろうものも
ここぞとばかりに新聞記事やテレビニュースになり、
マスコミは「脱法ハーブ=悪」としてその啓蒙と煽動に寄与している。

それにしても、今回公募としなかったことには何か理由があるのだろうか。
公募とすることで、より注目度が高まり、
「脱法ハーブ=悪」の浸透も進むと思うのだが。

確かに以前「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」に代わる名称を公募した際に
誰がどう考えてもふざけているとしか思えないような応募もあった。
「サギ・ストーリーは突然に」
「俺の息子がこんな声なわけがない」
など、それは実用度ゼロだろと思われるような応募も多かったようだ。
そんなちゃらけた野郎が多かったためか、
公募はやっぱりだめだなと考えてのうえなのだろうか、
しかし、先述のように公募をすることで話題性が生まれ、
注目が集まる効果も捨てがたいと思う。

で、「脱法ハーブ」に代わる名称を何にするかということだが、
「違法ハーブ」
「非合法ハーブ」では何も変わらないし、
では、
「ダメ。ゼッタイ。ハーブ」
「ハーブ アカン」など流用ものはわかりやすいが、
芸がないではないかと言われるだろうし、
よほどのものでないと「脱法ハーブ」を超えるものはできないだろう。
それだけ「脱法ハーブ」のイメージ定着は強いのだ。
それは今も「母さん助けて詐欺」よりも「振り込め詐欺」や、
さらにその前の「オレオレ詐欺」のほうが通りがいいことからもうかがえる。

となればこの際、定着よりも話題性先行を目的として、
「兄さんやめてハーブ」ではどうか。
たたかれることは必定だろうが、
脱法ハーブに目を向けさせられると同時に、
ほとんど使われていない「母さん助けて詐欺」に再度注目を浴びさせることも
できるのではないかと思うのだが。

続々・自律神経失調症

会社に復帰すると決めたのは、社長との面談がきっかけだ。
年末の社内幹部会議で、サブリーダー昇格者の選考を行なった際、
同期10名のうちで売上1位の男はすんなりと昇格が決まった。
あと1人をというところで、
2位の私と3位の男のどちらを昇格させるかの議論となった。
議論というと聞こえがいいが、
私の昇格を押したのは社長1人くらいで、他のほぼ全員は3位の男を押したそうだ。
社長は私の頑張りと成果とを評価して下さったが、
他のほぼ全員は、私にリーダーシップがないと反論し、
3位の男を押したという。

私にリーダーシップがないってのは、
まず、自分の仕事しかできない、、
すなわち自分の売上を作ることでいっぱいいっぱいであり、
他人のめんどうまでみられないだろうということ、
そして、内向的な性格なのでリーダーには向かないとのことであった。

社長は最後に「では2人の枠をなくして3人を昇格させよう」とまで
頑張って下さったそうだが、他の反論でそれもなくなった。

そういった話を聞かされて、
「誰がなんと言おうと俺はおまえの味方だ」と言われて、
この人のためにもう一度頑張ってみようと一念発起して
また体の調子が悪いままだったが、
なんとか復職できそうです、と会社に戻った。

しかし、長く休んだこともあり、社内の風当たりは強かった。
いてもいなくてもいいような担当にされて、
4月から3ヵ月間の4半期売上目標も月間目標も持たされず、
俺ってもう、会社に必要とされないみそっかす扱いかなと感じた。
あんなに頑張ったのになあ、と思った。

同期入社10人のうち、4月から新たに1人サブリーダーに昇格した。
1月~3月の売上がよかった、
その頑張りは周囲に大きな影響力があるからだとの理由だ。

じゃあ、俺が4月から年末まで頑張って売上をあげたのは
影響力がなかったんかよ、と思った。

自分の頑張りってなんだったんだろうなと疑問に思い、
その疑念がまた精神と体をむしばんでいく。

信じていたものが、突然手のひらを返されたように
何の価値もないものとされる。
信頼を寄せていた存在に突然裏切られる。

そんな時、頑張っていた分、その分だけ、ダメージを受けることになる。

私はまたさまざまな症状をぶり返して、その会社を退職した。


退職後、違う業界の会社にしばらく身をおいた。
仕事の環境が変わったこともあってか、症状は自然におさまっていった。

会社組織はただ仕事ができればいいというものではない。
上司にかわいがられなければ、
うまく協調して、うまく立ち回らなければ、組織の中では生きていけない。

そうはわかっていたけれど、うまく世渡りができない私は、
30歳の時にサラリーマンとして生きていくことをあきらめて、
独立して、自力で仕事をすることにした。
立ち上げた事務所は当初は広告代理店、
後に広告制作オフィスと改変して今に至る。
変わらないことは私1人で仕事をしているということ。
今後もたぶん1人で続けることになると思う。

仕事は楽じゃないし、責任はすべて自分でとらないといかんし、
何もしなくてもいるだけで時給が発生するということもない。
サラリーマンの頃よりずっとしんどいし、やる仕事も多い。
けど、本音と建前を使い分けて会社の中を渡っていく
そんな気遣いをするストレスに較べれば、
納期や締切に追われ、うーん、書けないよと悩むストレスのほうが
ずっとましだと思っている。
外から受けるストレスよりも、自分の中でのストレスのほうがずっとましだ。

自分の力ではどうにもできないことからのストレスは
時に精神を揺さぶって、心と体をおかしくしてしまうのだ。

続・自律神経失調症

25年前の冬、自律神経失調症を発症した。
原因については前回書いたとおりである。
わけもなく涙が出る、何もないのに動悸が激しくなり呼吸がしづらい、
月曜の夜に寝て、起きたら水曜の昼だった、
その他体にいろいろな異変が起こり、会社は休職にしてもらった。
ずっと家にこもり、寝て起きて、ぼんやりして、また寝て起きてを繰り返す。
当時つきあっていた彼女が時々食事を作りに来てくれたり、
時には「いつから寝てるんだ」とたたき起こしてくれることもあり、
ずいぶんと支えてもらったなと今さらながら感謝している。

そんな日が続いて、何回目かの通院の際、
家にこもってばかりじゃだめだ、
外に出て気分を変えなきゃだめだ、とドクターに言われた。
できれば外で何か集中できることにとりくめることが望ましいと言われ、
外で集中してできること=仕事、と答えると
会社が原因でこうなったんだから、
それ以外のことじゃないとだめだと一蹴された。
何かないかと考えて、思いついたのがボクシングである。

大学で4年間ボクシングをやった。
強くはなかったか試合にも出て、学生生活の大きなウエイトをしめていた。
4回生の夏以降は遠ざかっていたが、久しぶりにまたやってみようかと思った。
ドクターにそれを話すと、体を動かすことであるうえ、
さらに集中力が必要なことでもあるので、それはいいと賛成してくれた。
そんなわけで、自宅の近くにあるクレイジムに入会して、練習に通った。

当時のクレイジムは開設して2年目くらいだったか、
ジムもその当時は会長が自分で建てた丸太小屋のジムで、
練習生もそれほど多くはなかったと思う。
リングで練習するのも、ミットを打つのも、すべて初めてだった。
大学のボクシング部にはリングはなかったし、
ミットを受けてもらったこともまったくなかったのだ。
ボクシングの練習は初めてではないのに、
初めてのことが多く、練習が心から楽しいと思えた。

生活のリズムを作るために、毎日できるだけ決まった時間にジムに通った。
練習中は症状は何も出てこない。
後に気づいたのだが、何かにとりくんで集中している時は、
症状が出てこないのだ。
ボクシングの練習はもちろん、車やオートバイを運転する時も同様である。
逆に徒歩や自転車の時は、普通に歩いているつもりなのに電柱にぶつかるわ、
自転車ごと溝に落ちるわ、さんざんであった。

ボクシングの練習は楽しかった。
練習に行く時間を中心にして毎日がまわる。
2日間ぶっ通しで眠り続けることもなくなった。
しかし、月に1度か2度、会社に近況報告に行く時は
家を出る時点からあらゆる症状が次々に出てきた。
フル症状といったところか。目まいは起こるわ、電柱にはぶつかるわ、
下ってくるエスカレーターに逆行して乗ろうとするわ、
会社のビルに着いたと同時に寒い季節なのに汗が噴きだし、
足が動かなくなる、無理やりエレベーターに乗ると
全身が硬直して、心臓の音が頭に響く、
会社で上司に向き合うと声が上ずって出なくなる、
自分はいったいどうなってしまうのか、仕事に戻れるのかと、
考えると涙が出てとまらなくなる。
そして、1月の中旬から休職して、およそ2ヶ月半後、
3月の末に半ば無理やりに復職した。

自律神経失調症

自立神経失調症という病気があります。
メンタルの病気なのですが、病気として認められないことも多くあります。
うつ状態や、パニック障害、その他の症状がでるのですが、
メンタルの病気はわりと複雑だったり、
みきわめが難しかったりで、
よくわからんから、この病名にしておくかと、
数回の通院でその病名をつけられることも多いと聞いてます。

私も23歳の時に初めて、この病気にかかりました。
自覚した症状はいろいろで、
立ったら目まいが起こってしばらく歩けない、
椅子に座ったら、そのまま沈んで吸い込まれるような感覚になる、
普通に歩いているのに電柱にぶつかる、
ちゃんと見ているのに、
下ってくるエスカレーターに懸命に乗ろうとして、
乗れないことをおかしいなと思う、
普通に自転車に乗っていて、みぞに落ちる、
1人暮らしで部屋には自分しかいないのに誰かの話し声が聞こえ、
誰だろうと考えているとそれは自分のひとりごとだった、
夜寝て、目覚めたら2日後だった、
ほんとにいろいろな症状が出ました。

その時の原因は仕事のことです。
仕事というよりも、勤務していた会社のことです。

当時の私は、求人広告を主に扱う広告代理店の営業職でした。
営業なので、評価は売上の数字がすべてでした。
「営業は売ってなんぼ」
「言いたいことがあるなら、数字上げてから言えや」
「結果の数字がすべて、頑張っただけでは評価にならん」
と事あるごとに言われてました。

私は入社当時は成績悪かったんです。
口下手で、滑舌は悪く、無愛想で、営業に向いてないなと思ってました。
しかし、営業なのだから売上を作って成果を出さないとならないわけで、
そこで編み出したのが、
訪問先で話を聞いたらその場ですぐ「こういう原稿を作ればいいですよ」と
即興で企画を立てて説明するスタイルでした。
その方法に変えてからは成績が上がり始め、
新規開拓件数も、目標売上額達成率も社内で上位になり、
リクルートの代理店グループ全体でも何度か表彰を受けるようなことにもなり、
いやあ自分でもやればできるじゃないかと思ってました。

入社した年の年末ですが、
同期入社10人のうち、
2人が「サブリーダー」とよばれる役職に昇格することになってました。
それは少し早い時期から、社長がそう宣言しており、
昇格の最低条件は、4月以降9ヶ月間の売上目標額の通算達成率80%以上、
それをクリアしていたのは10人中3人、
私は12月の時点で92%、その12月も月間目標に対して順調に近づいており、
どうころんでも通算90%をきることはないレベルにありました。

そうなると、昇格候補者3人のうち、2人が昇格することになります。
目標達成率上位2人は90%以上で均衡しており、
3人目は80%を少し超えるところだったので、
これなら上位2人がそのまま昇格するのだろうと本人たちはもちろん、
周囲の同期社員もそう考えていました。

しかし、昇格したのは1位と3位の2人で、私ははずれました。
直属の上司にそれを聞かされ、なぜだと問い詰めると
「仕事にばかり目を向けていて、周囲に目が向いていない」
「性格が内向的なので、管理職には向かない」
といった理由を告げられました。
じゃあ、「数字がすべて」の言葉はなんだったんだよと反論しましたが、
「決まったことだから」と一蹴されました。

それがきっかけで、精神的なダメージで発症しました。

信じていたことに対して、いわば大きな裏切りを受けた時、
信じ続けて頑張り続けていた分、
返されるショックもダメージもそれだけ大きなものになるわけで、
ではあれだけ頑張ってきたことは、
いったいなんだったんだと、大きな虚無感が自分に襲いかかり、
気持ちを支えていたものが弾け飛ぶ、そんなところでしょうか。


その病気にかかる人は、ほとんどが「頑張りすぎる人」みたいです。
頑張らなくてもうまくやっていける世渡りのうまい人や、
すぐにあきらめたり、すぐに逃げたり、頑張ることを知らない人は
あまり縁のない病気だと言われているのではないでしょうか。

よく言われるのが
「うつ状態の方には、頑張れと言うな」ですが、
それはよくわかります。

けど、ではどうすればいいのかと聞かれると、
わからないです。

私は発症後、仕事ができなくなって3ヶ月ほど休職しました。
長く休んだ後、
また頑張らなければ、と思って復職したんですが、
やっぱりだめで、結局退職することになりました。

そのへんの詳しいことはまたそのうち書きます。
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