さまよえるLOVEずっきゅん

大阪の広告制作&ライター事務所 ラッキー・スター。 コピーライター&ライターが気まぐれに綴るたわごと。

広告関連

コピーの持つ力

イメージ 1


死ぬのが恐いから
飼わないなんて、
言わないで欲しい。

おうちを汚すから飼わないというなら、
犬はお行儀を身につけることでできる。
留守がちだから飼わないというなら、
犬はけなげにも、孤独と向き合おうと努力するかもしれない。
貧乏だから飼わないというなら、
犬はきっといっしょに貧乏を楽しんでくれる。

だけど、、、、死ぬのがこわいからといわれたら、
犬はもうお手上げだ。
全ての犬は永遠じゃない。いつかはいなくなる。
でもそれまでは、すごく生きている。
すごく生きているよ。
たぶん今日も、日本中の犬たちはすごく生きていて、
飼い主たちは、大変であつくるしくって、
幸せな時間を共有しているはず。

飼いたいけど飼わないという人がいたら、伝えて欲しい。
犬たちは、あなたを悲しませるためにやっては来ない。
あなたを微笑ませるためだけにやってくるのだと。
どこかの神様から、ムクムクしたあったかい命を
預かってみるのは、人に与えられた、
素朴であって高尚な楽しみでありますよ、と。


2004年2月28日 朝日新聞掲載  
(NPF 日本ペットフード 広告) 

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日本ペットフードの広告ポスターで、
コピーを書いたのは児島令子さんです。

(続く)

我流・ラジオCM制作

ラジオCMのコピーを書くとき、気をつけているのが
実際に録音されて放送された時、
聴いた方の耳に正しく伝わるかどうかである。
ストーリーや流れがわかるかどうかではなく、
単純に聞き間違えが起こらないかどうかと言ったことである。
なので、CMのコピーに使う言葉は、
できるだけ簡単で聞き取りやすく、
同音異義語があるなど他の意味にとられないものを選んでいる。
たとえば、「鮮明に見えます」は、「はっきりと見えます」と
できるだけ平易な言葉を用いる。
字を視覚で見ることと、言葉を耳で聞くこととでは、
伝わりかたが大きく違うのだ。

また、CMの最後は、その会社の社名あるいはサービスや商品の名前、
それらで締める。
それがもっとも伝えるべき部分であるからだ。
なので、会社名や商品名の後にストーリーのオチの補助のような
セリフを入れることはしない。
たとえば、
男: 貴金属・ブランド品、その他「こんな物も売れるの?」と
   いったものまで何でも買い取ります。
女: すごーい、こんなに高く買い取ってくれるのね。
NA:ご家庭のご不用品、何でも買い取ります。
   ○○リサイクルセンター
女: うちの旦那も買い取ってもらえないかしら。
といった形のものである。
これはラジオCMの手法として時々使われているが、私は使わない。
締めが弱くなる、社名や商品名がにごる、と考えるからだ。
また、最後に「いらんこと」を加えたために、
締めが弱くなるどころか、社名や商品名が正しく伝わらない
弊害が起こることもある。

大阪のラジオ局で実際に流されていたCMに、その実例がある。
キムチ専門店のCMだが、
商品であるキムチのおいしさを語り、
最後に店名のサウンドロゴが入り、
その後に女性の声で「アンニョン」と入り、終わる。
このCMを聞いた方のうち、かなり大きな割合の方が
「○○チギャラリー」は店の冠詞で、「アンニョン」が店名だと思うだろう。
しかし、実際は「キ○○ギャラリー」が店名である。
最後にいらんセリフを入れたために、
まぎらわしい誤解を生んでいる実例である。
このようなことになるとCMの効果や意味も半減してしまうだろう。
ちなみに「アンニョン」とは詳しい方によれば、
友人や目下の相手に親しみをこめて言う「またねー」といった意味だとのこと。

「見せる」よりも「読ませる」

特に公募の広告賞に多くみられるのだが、
コピーのないビジュアルだけの作品がある。
ビジュアルだけでも意味がわかり、また心を動かす力のある作品も多い。

しかし、私個人的に紙媒体の広告でコピーがないものってのは
物足りない、というか「もったいない」といった気がしてならない。
それよりも文章を主体にした「読ませる広告」が大好きだ。

しかし、一般的に新聞広告やポスターの場合は、
コピーよりもデザインを重視した視覚に訴えかける広告が多い。
コピーべたべたの広告は反主流的である。

私は昔、求人情報誌の求人広告を主として作っていたことがあるが、
その時も頂いたスペースにぎっしりびっちりと
文章を書き込んだ原稿を好んで作った。
広告主の「こんな感じで作ってくれ」といった希望で
ビジュアルものを作ることもあったが、
希望や指示がなければ文章満載型のものばかり作った。
そして、応募効果は文章型のほうが高かったと思う。
特に採用後の定着率では文章型が完全に優っていた。
視覚的なイメージでなんとなく入ってきた方より、
その会社のより多くの情報を文章によって得てからきた方のほうが
後々の定着もよかったようだ。

もちろん求人広告と一般の商業広告とは、
その性質も手法も違うが、それでもビジュアルものとコピーものとでは
心に響くものや残るものに大きな違いがあるのではないかと思っている。

新聞社主催の一般公募の広告賞についても、
上位にはいる作品はビジュアルものが多いのだが、
それでも私は文章がいっぱいの「読ませる広告」が好きだ。
なので、今後もそのような賞に応募する場合は、
主流のビジュアルものも作ることは作るが、
それと併せて別にコピーいっぱいものも作って出すだろうと思う。

大阪コピーライターズクラブ

OCC(大阪コピーライターズクラブ)年鑑が届きました。
来年こそは会員名簿のページだけでなく
受賞作品のページにも載りたいなと思うのですが、
そういえば去年も同じこと考えてたよなと
進歩のなさを反省です。...
しかし、来年はと思いつつ、
今年も賞どころか応募できるようなレベルの仕事をしてないんですよね。
正直なところ広告の仕事は減っていて、
その分をライター仕事で補ってるのが現状です。
補うどころか前年比で増えていて、
もう少し広告のほうもしっかりやらないと
コピーライターと名乗るのがおこがましくなるよと危機感バリバリです。

OCC2014
OCC2014-2

取材の重要性 後篇

前回、取材を重要視する制作スタンスについて書いた。
今回はその続きである。

取材が十分にできていないと、
その会社、商品、サービスの本質をとらえることができず、
イメージに頼ったありきたりの広告になってしまう。
社名や商品名を入れ替えれば、競合他社・競合他商品に
そのまま使える「首のすげかえ」が可能な広告である。
特に新聞や雑誌といった平面媒体を手がける際には、
その会社や商品のオンリーワン性を重視している。
本分はもちろんのこと、キャッチコピーもその会社の広告以外には
流用できないであろうレベルにしたいのだ。
なので、その会社や商品についてはできるだけの資料を集め、
どの部分を最大の魅力としてアピールするかを考え、
さらに、「うちはここが他と違うよ」、「ここが新しいよ」を
いかにうまくわかりやすく、心をとらえる表現にするか、を考える。

しかし、仕事の場合はその資料集め、
すなわち取材が十分にできるのだが、
公募の広告賞の応募となるとそれがどうしても不十分になってしまう。
賞の課題に対してできる資料集めとなると、
せいぜいWEBサイトからの情報収集と、
そこまですることはめったにないが、
商品を入手したりサービスを体感して得られる情報くらいだろう。
あとは、その周辺から情報を探してみるといった程度になる。
そうなるとどうしてもできあがる内容も濃さに欠けるものになってしまう。
ただ、それは他の応募者の皆さんも同じ条件であり、
材料が少ないなら少ない中で、いかにいい味付けをして、
おいしいものに仕上げていくかが腕の見せどころであろう。

私はまだその手法が下手であり未熟なので、
時には辛みが強すぎたり、甘ったるい味のものを作ってしまうこともある。
しかしここでも、「可もなく不可もなく平坦な味」は作りたくない。
食べたあと、何の余韻もなく、印象にも残らないであろうからだ。
それでは意味がないだろうと思う。
しかし、「辛すぎて食べられない」とか、
「ゲテモノすぎて食べる気になれない」といったところまでやるのは、
作った本人が喜んでいるだけで、
食べさせられる側には悪い印象しか残らず、
逆効果になるだろうと思う。
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