そこで佳作を頂いた。
課題は電子機器メーカーの、業務用アルコール探知機で
自分としては「えっ、これが入賞ですか?」と
意外に思ったのを覚えている。
しかしその初受賞を実にうれしく思った。
サイトに入賞作として掲載された自分の作品を何度も読み返し、
CDとして送られてきた完成CMを何度も聞いた。
よし、この勢いでさらに賞を獲ろうと頑張ったが、
その年はその1本のみの受賞に終わった。
翌年、今年は年間2本以上の入賞をと目標をたてたが、
秋にラジオCM賞を1本頂いただけに終わった。
その翌年も同じ目標をたてて、同じくラジオ1本入賞のみに終わった。
いっきに上向いたのはその翌年、2011年のことだ。
まず、その前年に開催された宣伝会議賞に応募した中の1本が、
協賛企業賞を頂けることになったと連絡があった。
NTTドコモの課題で、受賞作はやっぱりラジオCMだった。
宣伝会議賞には4回目の応募だった。
毎年増え続けるその年の応募総数がたしか32万4000本くらいで
その中での最終ノミネート100本内兼協賛企業賞となった。
そのことは実に大きな自信になった。
しかし、喜びいさんで東京で行なわれる贈賞式に行ったのだが、
そこでは受賞の喜びよりも、大きな敗北感を味わって帰ることになった。
宣伝会議賞では、協賛企業賞の位置はきわめて低い。
そう感じた。
壇上に立ち並ぶファイナリストの方たちを見て、
このテーブルと、あの壇上との間には、
高く厚い壁があるなと実感した。
挫折感と屈辱感と敗北感に打ちひしがれた帰りの新幹線の中で、
締切が近いラジオCM賞の応募作品をひたすら書き続けた。
思えば、その時が急激な成長を遂げる転機だったのかと思う。
帰りの新幹線の中で書いた作品だったか、
その前に書いたものかはわからないが、
そのラジオCM賞で3本の作品が同時に入賞した。
その中で準グランプリを頂いた作品は、
後に放送局のはからいで応募して頂いたACC賞で
ラジオ部門の賞を受賞することになる。
また、その作品はFCC賞で入賞には届かなかったが、
ノミネート作品としてFCC年鑑に掲載された。
さらには、その作品だけの評価ではないが
ある放送局からCMコピー制作の仕事を頂けるようになった。
年に数回といったペースであるが。
その年は、その他にもラジオCM賞を中心にいくつかの賞を頂き、
年間トータル9本の入賞となった。
また、いつかはこういうところに載りたいと思っていた
広告年鑑の掲載も果たし(ACC年鑑・FCC年鑑)、
ひとつ小さな夢がかなった。
その翌年となる昨年は、年間で5つの賞を頂いたが、
目標としていた「最高位の賞を獲る」も
「グラフィックの賞を獲る」も果たせないまま終わることになった。
その目標は今年も引き続いて継続している。
現在私は、コピーライターとして仕事をするだけではなく、
ライターとしての仕事も拡大させ、
さらには別分野の創作活動にも本格的にとりくみ始めている。
しかし、あくまでも基本はコピーライターでありたいし、
広告賞に挑んでの修業もずっと続ける。
そのスタンスはこれからも変わることはない。たぶん。
よほど大きなことが起こらないかぎりは。
それにしても、思えば実力が急激に伸びるきっかけとなるのは、
私の場合は、敗北感や劣等感、挫折感や屈辱感であることが多い。
それらを感じて、くそーっと思った時に気持ちが燃え上がり、
その時点で持っている力が背伸びをして、
そのまま伸びていくといった感覚である。
そしてその時の心境は、
不朽の名作映画「狂い咲きサンダーロード」の劇中のセリフ、
「上等じゃねえよ、やってやろうじゃねえよ」である。
そう考えると、私はいくつになろうと、
「いい年なんだから」と、へたな妥協をしたり、
「これくらいで十分じゃないか」と自分を納得させるようなことはせず、
くそーくそーと上を目指す発展途上の気持ちを持ち続けることで、
動いてあがき続けて、まだまだ自分をのばすことができる、
それこそ実力向上青天井を目指せると思うのである。