詳細はめんどくさいので省略するが、
広告業界で、「広告コピーがポエム化している」という意見が
ちょっとした議論を巻き起こしている。
本来はその商品やサービスなどを説明する、

あるいは表現する広告コピーがポエムのようになっていると言われている。

ここで言われているポエムとは、

内容があるのかないのかわからないような言葉であるのだそうだ。


もちろんすべての広告コピーがそうだとはいえない。

中には何の飾り気もひねりもない表現であるが、

心に響き、記憶に深く残り、ことあるごとに思い出されるであろう

そんな強いコピーも実際にあるのだ。


そのポエム化を提議された方は、

ある大きな広告賞の受賞作品の中のいくつかに対して、

「ポエムっぽい」と投げかけている。

その広告賞はコンペではなく、実際に使われた広告が選考の対象であり、

制作者はプロの方ばかりである。

そのプロの方々が書いたコピーが「ポエムっぽい」と言われているのだ。


もちろん書いた方に言わせれば、

「これはこのような意図で書いたのだ」と企画意図を説明されるのだろうけど、

けど、企画意図を説明しないと意味がわからないコピーなど
広告コピーとして通用するのだろうか。

ゆるくふわふわなポエムのようなコピー、

「いや、これはこのような形で消費者に訴えかけてですね・・・」と

説明しようとすればいくらでもできる。

まず広告主に説明して理解させることが最初の仕事になるからだ。

それは説明というより、言葉や理屈を並べての説得に近いと思われるが。


広告は芸術作品ではない。

商品やサービスを広く知ってもらい、それらを売るための手段のひとつだ。

しかし、その部分を忘れて芸術に走る制作者がいることも事実だ。

「うまいこと書いただろう」

「こんな視点や表現は今までにないだろう」

そこには広告主のために動くといった目的意識はなく、

自分自身の自己満足、自己陶酔しかない。


商品やサービスを売りたいと考えている広告主、

それらを使う立場にある消費者、

そのどちらのことも考えず、

うまい表現をしよう、うまい言葉まわしをしようと考えている制作者の書いた

コピーになど、読む人を動かす、心に響く力がこもるはずがないだろう。


結局、ポエムみたいなコピーは

広告の本来の目的をはきちがえている制作者が
生み出しているのではないかと思うのだ。