さまよえるLOVEずっきゅん

大阪の広告制作&ライター事務所 ラッキー・スター。 コピーライター&ライターが気まぐれに綴るたわごと。

続・フリーランスは自由なのか? 

フリーランスや、事業主は時間が自由でいいと
勘違いしているやつがいると先日書いた。
確かに束縛はないし、休もうと思えばいつでも休める。
けど、休んだら金が入ってこない。
仕事も選べないのは書いたとおり。
自由に好きなことをして金をもらえるなどと、
甘いとしか言いようがない。
すべて自分でリスクを負っている。


会社員の場合、指示されたとおりに、
会社の方針にしたがって仕事を進めてミスをして損失を出したのであれば、
会社はそれを厳しくとがめだてはしない。
始末書くらいは書かされるかもしれないけど。
しかし、指示を無視して自分の好きなようにやって
ミスが起こったとか、手を抜いてミスをしたとなれば話は別だ。
何らかのペナルティを課せられて当然だろう。

業務命令や指示に従いたくない、
自分のやりたいようにしたいというなら、
それに対しての責任も自分で負うべきだ。
会社の指示どおりにしてミスをして損失が出たなら、
それは会社が責任を負う、それでいい。
しかし、勝手に自分のやりたいことをやって、
そのことが損失につながったのなら、
自分自身がその損失を賠償すべきだろう。
フリーランスや事業主は常にそれを頭においている。
自分のやりたいようにやれる、しかし、
それが損失につながれば、自分で責任をかぶるしかない。

何をしても給料が減ることはない、
自分の腹が痛むことはないという状況で、
自由に仕事を選びたいだの、好きな時に休みたいだの、
それができないのは不満だの、
ぐだぐだいうのは子どものわがままといっしょじゃないか。
好き勝手をしたいのなら、
それによって起こるリスクは自分で背負うべき、
損失が出たらその分給料減らしてもいいというくらい
腹をくくって上に申し出ればいい。
そこまでできないのなら、会社の指示や方針どおりに動くべきだね。

そういう理屈もわかっていないやつが、
会社に不満だからフリーになるなどと、寝言もはなはだしい。

フリーランスは自由なのか?

ある知人から連絡があって、「会社をやめたい」とのこと。
やめてフリーになることも考えているので
どうすれば仕事をとれるのかを教えてくれと言われた。
教えることは教えたが、...
フリーランスについて勘違いしている部分が多く、
フリーとしてやっていくのは無理だと思う。

「フリーは時間が自由でいい」そうだが、
フリーは動いた分しか金にならないのだ。
出社すればそれだけで金をもらえるわけでもなく、
会社の業績がどうであれ、毎月決まった日に
決まった額の給料をもらえるわけでもない。
自由にさぼれるとか休めるなどとんでもない。
さぼったら金を作れない。
私はいちおう日曜日を休日としているが、
実際には出勤して仕事をすることがほとんどで、
年鑑を通じてまともに休む日ってのはほとんどない。
そうせざるをえないのだ。

「フリーは仕事を選べる」そうだが、
そんな立場のフリーランスはどれだけいるのか。
案件がたくさんあってその中から選んで書く形式もあるが、
それらは報酬が安い。
依頼を受けて書く仕事は、選ぶことなどなくすべて受ける。
断れば二度と仕事が入ってこないからだ。
受けた仕事は全力でクオリティの高いものに仕上げる。
手抜きはすぐにばれるし、手を抜くやつには仕事を発注しないだろう。

好きなことばかりやって金を稼げるほど甘くない。
「広告にボクシングに、好きなことを仕事にできて 幸せですね」と
書いてあったが、冗談じゃないよ。
趣味としてやっているなら楽だが、
仕事としてやるとなると話は別だ。

実務の広告と公募賞との違い

広告制作においていちばん大事なのは、
依頼先の要望に応えたものを作ることである。
それができていないと、
「何を聞いてたんだ」と怒られることになる。
それだけではすまず、...
「言ったことを正確に理解できないだめなやつ」とか、
「指示したことに従わない横着なやつ」と思われてしまう。
そうなるともう仕事をもらえなくなる。
だから、依頼先が
「サランラップが他のラップにくらべて優れている点」を
コピーにしてほしいと希望されているなら、
ラップの活用とか、ラップをめぐるドラマではなく、
他社製品とはこう違うんだという差別化を
文章にして、それをまとめた一文をキャッチコピーにする。
あるいは、「プリンといえば森永」と希望されるなら、
プリンそのもののコピーではなく、
プリンは森永がいいよと強く訴えかけるコピーを書く。

そうしないと、
「ラップの広告ではなくて、サランラップの優位性だよ」
「これじゃ、どこのメーカーのプリンにも使えるだろ」と
怒られてしまう。
そして、それだけでは終わらず、
「使えないやつ」「仕事ができないやつ」と思われる。

実務ではそうだ。
しかし、公募賞ではそのへんがいいかげんになっている
ことが多々見受けられる。
協賛企業が選ぶ賞ではさすがに課題のテーマどおりのものが
選ばれているが、審査員が選ぶ賞では、
この人たちは課題のテーマを理解して選んでいるのかと
疑わしくなるような作品が入賞していることも多い。
確かにコピーとしては優れているが、
依頼先の希望する内容とはかけ離れたものであるとか、
そういった意味だ。

今回の宣伝会議賞は課題社1社あたりの応募本数に
上限がつけられた。
応募する作品をしぼりこむ必要ができたわけで、
応募作品の質を上げるためという意図があるものと思う。
しかし、それをすることによって、冒険ができなくなる。
課題の意図どおりに作ったストライクのものも出すが、
大きく外れた暴投も混ぜて出そうといったことが
やりにくくなる。
全部ストライクゾーンめがけて投げるしかないなと。
課題のテーマから大きくはずれたものは投げにくい。

応募本数の上限設定は審査員側からの要望だと思うが、
そのような要望を出すのであれば、
審査をする姿勢もあらためてほしい。
コピーは芸術作品ではなく、商業広告である。
依頼先の希望がコピーに落とし込まれていなければ、
どんなに優れた表現であれ、それはコピーとはいえない。

ギャラリー
  • 大阪コピーライターズクラブ
  • 大阪コピーライターズクラブ
  • どうすべきか考える
  • 宣伝会議賞リタイア寸前
  • オリックス・バファローズあるある 絶賛発売中
  • てへぺろ
  • 複雑な怒りの気持ち
  • オリックス・バファローズあるある 発売1か月後
  • 捨てた日も、散歩と思ってよろこんで出かけて行った
アクセスカウンター

  • ライブドアブログ